坊っちゃん歌詞
海王社文庫
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坊っちゃん夏目漱石
海王社
朗読木村良平
少爺夏目漱石
...
朗讀木村良平
教員が控所(ひかえじょ)へ揃(そろ)うには一時間目の喇叭(らっぱ)が鳴らなくてはならぬ。
大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々(おいおい)ゆるりと話すつもりだが、
教員們要在第一堂課的喇叭聲響才會到休息室去。
まず大體の事を呑(の)み込んでおいてもらおうと雲って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。
還有很多時間。校長掏出表看了看,打算之後再慢慢告訴我細節,
おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ來たと思った。
就先將學校裡所有的情況大致講了一下,還對我大談一陣教育精神論。
校長の雲うようにはとても出來ない。
我馬馬虎虎地聽著,聽到一半才知道自己來的是一個多麼不得了的地方。
おれみたような無鉄砲(むてっぽう)なものをつらまえて、
校長所說的種種,我根本做不到。
生徒の模範(もはん)になれの、一校の師表(しひょう)と仰(あお)がれなくてはいかんの、
要我這個生性莽撞的人
學問以外に個人の徳化を及(およ)ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。
成為學生的楷模,成為讓人景仰的師表,
そんなえらい人が月給四十円で遙々(はるばる)こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。
除了學問之外,還須以德化育英才,作一個真正的教育家等等,這些要求實在太高。
腹が立てば喧嘩(けんか)の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、
那麼偉大的人,怎麼可能為區區四十元的月薪,千里迢迢來到這個偏遠地區呢?
この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出來ない。
人哪,我想,基本上是差不多的,生氣起來難免會吵架,打架,
そんなむずかしい役なら僱(やと)う前にこれこれだと話すがいい。
碰到這時候,既不能開口說話也不能去散步,
おれは噓(うそ)をつくのが嫌(きら)いだから、仕方がない、
這工作既然這麼難,應該在我未來之前先說清楚。
だまされて來たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで斷(こと)わって帰っちまおうと思った。
我一向不愛撒謊,又不知如何是好,
宿屋へ五円やったから財布(さいふ)の中には九円なにがししかない。
有被騙來此的感覺,真想死了這條心,現在就去請辭,打道回府。
九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜(お)しい事をした。
可是,轉念一想,我給了旅館五元小費,口袋裡只剩下九元。
しかし九円だって、どうかならない事はない。
只有九元是不夠付回東京的旅費的,早知道就不給那五元小費,想想實在可惜。
旅費は足りなくっても噓をつくよりましだと思って、到底(とうてい)あなたのおっしゃる通りにゃ、
雖然只剩九元,也不是沒法可想。
出來ません、この辭令は返しますと雲ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。
再說,旅費不夠,總比說謊好。於是,我告訴校長,自己無法做到校長的要求,
やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出來ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと雲いながら笑った。
想將聘書還給他。校長眨一眨狸貓樣的大眼望著我,
そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇(おどさ)さなければいいのに。
笑著說,這只是希望而已,他也了解我不可能全做到,要我不必擔心。

既然你那麼了解,一開始就別那樣嚇唬我。
そう、こうする內に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。
もう教員も控所へ揃いましたろうと雲うから、校長に尾いて教員控所へはいった。
就在這時,下課喇叭聲響起,教室那邊,開始喧嘩起來。
広い細長い部屋の週囲に機を並(なら)べてみんな腰(こし)をかけている。
教員也大概回到休息室了,於是我隨著校長走到教員休息室。
おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。
大家都圍坐在那間寬敞而細長的房間內許多並排的桌子四周。
それから申し付けられた通り一人一人(ひとりびとり)の前へ行って辭令を出して挨拶(あいさつ)をした。
我們一進去,大家不約而同地望來,我心想:有什麼好看,又不是展覽品。
大概(たいがい)は椅子(いす)を離れて腰をかがめるばかりであったが、
我依校長吩咐,一一出示那張聘書。
念の入ったのは差し出した辭令を受け取って一応拝見をしてそれを恭(うやうや)しく返卻(へんきゃく)した。
每個人都客氣地打躬作揖,更客氣的就恭恭敬敬地接過聘書,
まるで宮芝居の真似(まね)だ。十五人目に體操(たいそう)の教師へと廻って來た時には、
仔細審閱內容後,又畢恭畢敬地還給我。
同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向(むこ)うは一度で済む。
像表演一出小戲劇。輪到第十五位,是個體育老師,
こっちは同じ所作(しょさ)を十五返繰り返している。少しはひとの了見(りょうけん)も察してみるがいい。
我反复做同樣動作,心裡已經開始煩了。對方只做一次,

我已經做了十五次。這位體育老師應該體諒我的。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと雲うのが居た。これは文學士だそうだ。
文學士と雲えば大學の卒業生だからえらい人なんだろう。妙(みょう)に女のような優しい聲を出す人だった。
我招呼過的這些教職員中,有一位像是教務主任,什麽名字我忘了,只知道他是文學士。
もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣(しゃつ)を著ている。
說起文學士因為是大學畢業生所以是很厲害的人吧。奇妙的是是個發出女性一樣溫柔的聲音的人。
いくらか薄(うす)い地には相違(そうい)なくっても暑いには極ってる。
最教我訝異的是,這大熱天裡,他竟然穿著法蘭絨襯衫。
文學士だけにご苦労千萬な服裝(なり)をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿(ばか)にしている。
雖然質地不厚,也夠熱的。
あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを著るんだそうだ。妙な病気があった者だ。
不愧為文學士,穿得這麼正式而辛苦,而且顏色還是紅的,實在是過份
當人の説明では赤は身體(からだ)に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂(あつ)らえるんだそうだが、入らざる心配だ。
後來,我聽說他長年穿紅襯衫,真是的,哪有人會有這種怪癖。
そんならついでに著物も袴(はかま)も赤にすればいい。
據他自己說是因健康的關係,為了衛生起見而穿紅襯衫的,這真是謬論。
それから英語の教師に古賀(こが)とか雲う大変顔色の悪(わ)るい男が居た。
如果真有效,何不連和服的裙褲也穿紅的呢。
大概顔の蒼(あお)い人は瘠(や)せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。
另一位叫古賀的英文老師,臉色十分蒼白。
昔(むかし)小學校へ行く時分、淺井(あさい)の民(たみ)さんと雲う子が同級生にあったが、この淺井のおやじがやはり、こんな色つやだった。
一般來說,臉色蒼白的人大都骨瘦如柴,而這位古賀老師的臉,卻有點浮腫。
淺井は百姓(ひゃくしょう)だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、
使我想起小學時,有位叫淺井阿民的同班同學,他的父親也是這種氣色。
あの人はうらなりの唐茄子(とうなす)ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。
這位淺井先生是務農的,所以我問阿清,是不是所有的農夫都會變成這種臉色,阿清告訴我不是如此,
それ以來蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬(むく)いだと思う。
他是專吃長在蔓梢上的南瓜才會變得這樣蒼白而浮腫。
この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違(ちが)いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。
從那時候起,我看到臉色蒼白的人,都認為是吃了蔓梢末的南瓜所致。
清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。
這位英文老師八成也是這樣。至於什麼叫長在蔓梢,我現在還不知道。
それからおれと同じ數學の教師に堀田(ほった)というのが居た。これは逞(たくま)しい毬栗坊主(いがぐりぼうず)で、
我問過阿清,阿清只是笑著,沒說什麼,大概她也不曉得吧。
叡山(えいざん)の悪僧(あくそう)と雲うべき面構(つらがまえ)である。
還有一位和我同樣教數學的老師掘田,長得很壯,剃著光頭,
人が叮寧(ていねい)に辭令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに來給(きたま)えアハハハと雲った。何がアハハハだ。
有一張看來像睿山惡僧的臉。
そんな禮儀(れいぎ)を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。
當我將聘書呈在他面前時,他看都不看一眼,只說:“哦,你是新來的啊!到我家來玩嘛,哈哈哈!”什麼‘哈哈哈! ’嘛。
おれはこの時からこの坊主に山嵐(やまあらし)という渾名(あだな)をつけてやった。
誰希罕到這個無禮的傢伙家去玩。
漢學の先生はさすがに堅(かた)いものだ。昨日お著きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、
從這時候起,我為這傢伙取了個渾名叫豪豬。
大分ご勵精(れいせい)で、――とのべつに弁じたのは愛嬌(あいきょう)のあるお爺(じい)さんだ。
漢文老師很嚴謹,一副道貌岸然的樣子,他很誠懇地問我:“是昨天才到的吧,很疲憊吧?要致力於教學了,
畫學の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾(すきや)の羽織を著て、扇子(せんす)をぱちつかせて、
你很勤勉啊——“他流暢地說著,是個和藹可親的老爺爺。
お國はどちらでげす、え? 東京?そりゃ嬉(うれ)しい、お仲間が出來て……
再來,就是一副藝術家模樣的美術老師,他身穿薄而透明,皺絹布製的和服外套,搖著扇子問我:
私(わたし)もこれで江戸(えど)っ子ですと雲った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。
“你故鄉在哪兒?” 我說:“東京。” “哦,那好,我這下有伴了。
そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
別看我這樣,我也是江戶人哪。”他說。我心想,像他這種人也是江戶人的話,我寧願不是江戶人。

如果其他每一位都要一一詳述就沒完沒了了,只好到此為止。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は數學の主任と打ち合せをしておいて、
明後日(あさって)から課業を始めてくれと雲った。數學の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。
向所有的教師招呼過後,校長吩咐我可以回去休息了,後天開始上課,要我在上課之前,與數學主任商談一下。
忌々(いまいま)しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。
我問他,哪位是數學主任,他告訴我就是那位我暗稱他為“豪豬”的人。
山嵐は「おい君どこに宿(とま)ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と雲い殘して白墨(はくぼく)を持って教場へ出て行った。
想到要在那可惡的傢伙底下做事,就很失望。
主任の癖に向うから來て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
豪豬告訴我:“你住哪裡?山城屋嗎?我會去找你商量。”說罷,就拿著粉筆走到教室去。

他身為主任,竟主動說要來找我商量,真沒見識。不過,總比要我去找他好。
それから學校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、
無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布(あざぶ)の聯隊(れんたい)より立派でない。
離開學校,本想回旅館,想想,回那兒也沒什麼意思,於是就決定到街上逛逛,散起步來。
大通りも見た。神楽坂(かぐらざか)を半分に狹くしたぐらいな道幅(みちはば)で町並(まちなみ)はあれより落ちる。
到了縣政府,是幢舊世紀建築,也看到軍營,這軍營還沒有麻布的聯隊營房氣派。
二十五萬石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張(いば)ってる人間は可哀想(かわいそう)なものだと考えながらくると、
馬路的寬度,大約只有神樂坂的街道一半寬,街上的景觀也遠比神樂坂差。
いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狹いものだ。これで大抵(たいてい)は見盡(みつく)したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。
雖然這是二十萬石城堡下的市區,看來卻也不怎麼樣。
帳場に坐(すわ)っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。
我邊走邊想,不知不覺已來到山城屋門前。原以為這地方很大,沒想到這麼小,大部份地方都逛過了,該吃飯了,於是,我就走進屋裡。
靴(くつ)を脫(ぬ)いで上がると、お座敷(ざしき)があきましたからと下女が二階へ案內をした。
坐在櫃檯的老闆娘看到我,立刻過來,伏在鋪著木板的地上向我磕頭,說:“您回來啦?”
十五畳(じょう)の表二階で大きな床(とこ)の間(ま)がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。
我在脫鞋時,女服務生過來告訴我說房間已經空出來了,
この後いつはいれるか分らないから、洋服を脫いで浴衣(ゆかた)一枚になって座敷の真中(まんなか)へ大の字に寢てみた。いい心持ちである。
就帶我上二樓一個十五疊榻榻米大、面向旅館門口,有很大壁龕的房裡,我這輩子沒進過這麼豪華的房間。

於是,我立刻脫去西裝,換上簡便的和服,在床中央躺成大字形,覺得很舒服。
晝飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌(だいきら)いだ。
またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発(ふんぱつ)して長いのを書いてやった。
午飯後,我就開始寫信給阿清,因為自己文筆不好,又不識多少大字,所以最恨寫信。
その文句はこうである。
也沒什麽寫信的對象。不過阿清一定擔心我的船是否遇難,是否一切平安等等,所以我破例,慷慨地寫了封長信給她。
「きのう著いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寢ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寢られなかった。
內容是這樣的:
清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。來年の夏は帰る。今日學校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。
“我昨天安然抵達這個無聊之地,此刻正下榻在一個十五疊榻榻米大的房間,昨天給旅館五元小費,老闆娘就在木板地上向我磕頭。
校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、數學は山嵐、畫學はのだいこ。
我昨晚睡不著,夢見你將竹葉包的麥芽糖連竹葉都吞下。明年夏天我會回去。今天到學校和同事見面。
今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
校長像狸貓,教務主任是赤衣狂,英文老師是營養欠佳的南瓜,數學老師如豪豬,美術老師像小丑。

今天就此為止,以後我還會向你報告許多,再見。 ”
手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気(ねむけ)がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寢た。
今度は夢も何も見ないでぐっすり寢た。この部屋かいと大きな聲がするので目が覚めたら、山嵐がはいって來た。
寫完信,心裡很是舒暢,就又如方才一樣,在床上躺成大字形睡覺。
最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽(ろうばい)した。
這次睡得很熟,沒有做夢。突然聽到有人問:“是這個房間嗎? ”我醒來,原來是豪豬來訪。
受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は愚(おろか)、明日(あした)から始めろと雲ったって驚ろかない。
他一進門,就說:“對不起,剛才怠慢了,你要負責的是……。 ”我才起床,他就這麼直接了當地談判開來,我有些手足無措。
授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕(ぼく)がいい下宿を周旋(しゅうせん)してやるから移りたまえ。
他要我負責的事,聽來不太難,我便一口答應下來。這些事,別說是後天,就是明天要我開始做也沒問題。
外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出來る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから學校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。
談妥教學事宜後,他問我:“你不會想一直住這裡吧?我給你介紹個不錯的出租房子,搬過去好了。如果別人,對方不一定答應,但是,我跟他們說,他們一定能讓你馬上住進去。
なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料(しゅくりょう)に払(はら)っても追っつかないかもしれぬ。
越快越好,今天看,明天搬,後天到學校上課,正好。 ”他這樣迳自決定了。
五円の茶代を奮発(ふんぱつ)してすぐ移るのはちと殘念だが、どうせ移る者なら、早く引き越(こ)して落ち付く方が便利だから、
不錯,我是不能一直住在這個十五疊榻榻米的大房裡,否則我全月份薪水也許還不夠付旅館費呢。
そこのところはよろしく山嵐に頼(たの)む事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに來てみろと雲うから、行った。
想到給了五元的小費,卻要馬上搬離這兒,覺得有些遺憾。但是,若遲早要搬,早搬早安定,也方便一些。
町はずれの岡の中腹にある家で至極閑靜(かんせい)だ。主人は骨董(こっとう)を売買するいか銀と雲う男で、
當下就拜託豪豬了,豪豬要我跟他一起去看房子。
女房(にょうぼう)は亭主(ていしゅ)よりも四つばかり年嵩(としかさ)の女だ。
那是郊外丘陵山腰上一棟靜謐的房子,房東名叫銀,做古董生意的,
中學校に居た時ウィッチと雲う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。
房東太太是比房東大四歲的年長女人。
とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町(とおりちょう)で氷水を一杯奢(ぱいおご)った。
中學時,念過一字叫“WITCH”(女巫),這位房東太太看來就像個“WITCH”,不過這個“WITCH”也是普通“人”的太太,是無所謂的。
學校で逢った時はやに橫風(おうふう)な失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。
所以我決定明天搬過去。豪豬在通町請我喝了一杯冰水。
ただおれと同じようにせっかちで肝癪持(かんしゃくもち)らしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。
第一次在學校看到這傢伙,覺得他很傲慢無禮,後來,看他各方面這麼照顧我,才曉得他是個很不錯的人。

只是他和我一樣性急又容易發脾氣。後來聽說他最受學生歡迎。


いよいよ學校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。
生徒はやかましい。時々図抜(ずぬ)けた大きな聲で先生と雲(い)う。先生には応(こた)えた。
我終於到學校授課了,當我第一次步上教室里高高的講台上時,心裡有種奇怪的感受,對自己居然有一天當起老師來,覺得不可思議。
今まで物理學校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥(うんでい)の差だ。何だか足の裏がむずむずする。
學生很吵,經常高聲喊“老師”,我對“老師”這叫聲一時無法習慣。
おれは卑怯(ひきょう)な人間ではない。臆病(おくびょう)な男でもないが、惜(お)しい事に膽力(たんりょく)が欠けている。
從前在物理學校時,成天老師長老師短地喊,不覺得怎樣,但是,喊別人老師和被人喊老師,是有天壤之別的。被喊老師,總覺得腳底發癢。
先生と大きな聲をされると、腹の減った時に丸の內で午砲(どん)を聞いたような気がする。最初の一時間は何だかいい加減にやってしまった。
我既不卑鄙,也不致於膽小,但是膽子還是不夠大,
しかし別段困った質問も掛(か)けられずに済んだ。控所(ひかえじょ)へ帰って來たら、山嵐がどうだいと聞いた。
每當被人叫“老師”,都覺得像肚子正餓時,由碗內傳出午時報時的砲聲一樣。第一節課,我馬馬虎虎地教了。
うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。
學生沒問什麼特別的問題,就這麼結束。豪豬問我:“情況怎麽樣?”

我回答說:“嗯,簡單。”豪豬像是放下一顆心。
二時間目に白墨(はくぼく)を持って控所を出た時には何だか敵地へ乗り込(こ)むような気がした。教場へ出ると今度の組は前より大きな奴(やつ)ばかりである。
おれは江戸(えど)っ子で華奢(きゃしゃ)に小作りに出來ているから、どうも高い所へ上がっても押(お)しが利かない。
第二節,我拿著粉筆,由休息室往教室去時,就像即將上敵方戰場似的。這班同學普遍比上一班高大。
喧嘩(けんか)なら相撲取(すもうとり)とでもやってみせるが、こんな大僧(おおぞう)を四十人も前へ並(なら)べて、
我這個江戶人,身材纖細瘦小,即使在高高的講台上,也覺得份量不夠。
ただ一枚(まい)の舌をたたいて恐縮(きょうしゅく)させる手際はない。しかしこんな田舎者(いなかもの)に弱身を見せると癖(くせ)になると思ったから、
平常,要是打架的話,即使對方是相撲高手,我也敢打給你看,可是,眼前是一群四十人之多的大孩子,
なるべく大きな聲をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も煙(けむ)に捲(ま)かれてぼんやりしていたから、
就憑我一張嘴,如何唬得住他們。不過,如果讓這群鄉下孩子看出我的惶恐心態,後果會不堪設想。
それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の真中(まんなか)に居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と雲う。
因此,我盡量提高嗓門,以江戶人的語調,捲舌而快速嘰哩呱啦地教學。一開始,學生們被我弄得莫名其妙,
そら來たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣(や)って、おくれんかな、もし」と雲った。
我十分得意,越說越輕快。這時,坐在最前排中央,那位看來最強壯的學生站起來說:“老師!”。
おくれんかな、もしは生溫(なまぬ)るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり雲ってやるが、おれは江戸っ子だから君等(きみら)の言葉は使えない、
我心想:來了,便問:“什麼事?”,他說: “老師,您說得太快了,我聽不懂,能不能慢一點呢?”
分(わか)らなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。この調子で二時間目は思ったより、うまく行った。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、
這學生說話時,那種鄉下腔一點都不帶勁。 “如果你們覺得太快的話,那我只好說慢一點,但是,我是江戶人,無法以你們的腔調說話,
もし、と出來そうもない幾何(きか)の問題を持って逼(せま)ったには冷汗(ひやあせ)を流した。
如果聽不懂,那就慢慢適應吧!”我回答說。第二節也比想像中順利地結束。就在回休息室途中,有個學生說有問題請教我,
仕方がないから何だか分らない、この次教えてやると急いで引き揚(あ)げたら、生徒がわあと囃(はや)した。
他提出一個我可能解不出的幾何題,我急得冷汗直流。
その中に出來ん出來んと雲う聲が聞(きこ)える。箆棒(べらぼう)め、先生だって、出來ないのは當り前だ。出來ないのを出來ないと雲うのに不思議があるもんか。
實在沒辦法,我只好告訴他說,我也搞不清楚,下次才教他,之後我趕緊回休息室去,那群學生嘩然地揶揄著。
そんなものが出來るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って來た。今度はどうだとまた山嵐が聞いた。
有人叫著:“老師不會,連老師都不會。”混蛋,老師不會,那是當然的,我說不會有什麼了不起。
うんと雲ったが、うんだけでは気が済まなかったから、この學校の生徒は分らずやだなと雲ってやった。
那種問題,我會做的話,何必為了四十元一個月的薪水,到這個鬼鄉下來啊。我心頭不悅地回到休息室。豪豬又問我情況如何。
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